Pippi日記

本・音楽・軽井沢の徒然Blog

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双子ブラックホールに目玉と顔のガス円盤

「双子ブラックホールに目玉と顔のガス円盤 」というタイトル。
私が考えたんじゃありませんよ。京都新聞のトップ記事(7/22夜)です。

最初、何のことだか全然分かりませんでした。宇宙人の話?
と思ったら、京大グループが巨大ブラックホールの進化を説明する
新しい理論なのだそうです。

ブラックホールと言えば、私の机の上の別名だなあと思うくらいで、
特に関心はないのですが、このタイトル、結構無茶してますよね。

どんなものか知りたい方は、京都新聞掲載の想像図をどぞ!

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雨に打たれながら、考えてみた。顔もあげられないほどに。



雨が後ろ姿を濡らしています。
がっちりとした肩、ほとんど隠れている頭。
京博の「考える人」です。


ただいま京都に滞在中。
大学のスクーリングがあるため、遥々やってきました。
しかし、余分に取っておいた唯一の日は、朝からずっと雨。

じゃ、こんな日はインドア系ってことで。



京都国立博物館に行ってみたら、平常展のみ。
特別展示館(上の写真)はクローズです。
参観者はまばらで、ふらっと訪れたかのような年配の方と、
天気に全く関係なく元気な修学旅行生がいて、対照的でした。

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春の京都旅行〜至れり尽くせり、金閣寺〜

京都旅行の3日目。

◆序盤、痛恨のミス
ずっと楽しみしていた、京都国立博物館の「河鍋暁斎」展に出かけました。
ところが!!

月曜休館ということをすっかり失念していました。がーん。

くー。展覧会の入口があんなにも遠い・・・。

こういうときは、腹ごしらえするしかありません。
とりあえず三条方面に一旦戻って、善後策を講じることに。


◆気を取り直して、町家カフェでランチ

今日のランチは、御幸町の「ここら屋」さんです。
ランチは、野菜中心でお腹にやさしいメニュー。
また、小さな一人用のちゃぶ台があって、一人旅でも入りやすいのが嬉しい。
居心地の良い町家カフェでした。

ふぅ、気分がようやく落ち着いてきました。


◆至れり尽くせり、金閣寺
そんなこともあって、ふと思いつき、金閣寺に行ってみることにしました。
銀閣寺に行ってきたばかりなので、比較対象としては面白いだろうと。

正式名称は鹿苑寺。よく見るアングルで撮ってみました。絵はがき風。

気が付くと、周囲は外国人の皆さんでいっぱい。
凄まじい勢いでやってきて、凄まじい勢いで写真をばしばし撮り合っています。
「ゴールド」への思いは万国共通。やっぱり人気がありますね。


金閣の中には入れないので、親切にもこんな説明があったり。

ご利益はオールマイティーだったり。(外国人対応も万全)

バイリンガルどころか、韓国語、中国語もOKだったり。

痒いところに手が届くと言うか、至れり尽くせりです。
ここなら海外からのお客さんも楽しめますね。

忘れがちですが、お庭も金閣寺の魅力です。

垣根上部の半割りの竹が特徴。太い竹を使い、簡素ながら豪華な雰囲気を演出。
奥の方にあって見逃しやすいけれど、銀閣寺とはまた違った面白さ。

「龍門の瀧」です。中央の石は、龍になろうとした鯉を表す「鯉魚石」。
中国の故事にちなんだ名前で、よくいう「登竜門」もこの故事から来ています。

落ちた椿がきれいでした。        もちろん、お茶も満喫できます。

最後まで気を抜かない姿勢。さすがです。
徹頭徹尾、顧客重視のスタンスには感服しました。


金閣寺を見終わった後、バスに乗ってゆるゆる戻ってきました。
なんか、疲れた一日でした。
こういうときは、カフェでおやつおやつ・・・

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春の京都旅行〜ドラッカーと日本美術(後編)〜

「ドラッカーと日本美術」の後編です。


◆(建築×障壁画×庭)+徳川の野望=二条城
旅の締めくくりは「二条城」です。
今の二条城は、1603年に徳川家康が上洛の際の宿所として造営したのが始まり。
三代将軍である家光のとき、後水尾天皇の行幸を迎えるため大改築を行い、
桃山時代を代表する「武家風書院造り」の遺構として、今に伝わっています。


手前が、二の丸御殿の「車寄」。左奥は「遠侍の間」(大名・家臣の間)。

参観のメインとなるのは、上にもある「二の丸御殿」です。
大広間をはじめとした6棟が雁行型に並び、部屋数は33、御殿を飾る障壁画は
何と約3000点を越えます。大名や勅使を迎える際に使用された建物です。

幕藩体制の基礎を築いた、ある種、”舞台装置”とも呼ぶべき場所。
建築・障壁画・庭が一体となったとき、空間は実に強いメッセージを
発することがよく分かります。写真撮影はNGなので言葉足らずですが、
これは直接体験してみないと分からない二条城の面白さだと思います。


唐門。よく見ると、正面じゃなくて中から撮った写真ですね・・・

二の丸庭園。小堀遠州による作庭。

二条城の桜。満開でした。

ドラッカーからはやや離れますが、個人的な関心はやはり狩野派の障壁画。
二の丸御殿で特に有名なのは、大広間の「松の孔雀図」です。
松は「永遠」、孔雀は「富貴」の象徴。長押を突き抜けて広がる枝振りは、
将軍の権威や格を表現するものに他なりません。

とは言え、高度にフォーマルな空間ゆえでしょうか。
構図の大胆さですら、ちょっと優等生的かも、とも思います。
狩野永徳みたいに、ぐい、ぐい、と絵だけで引っ張るような力までは
感じられません。また、狩野山雪のようにシュールな造形美もない。
圧倒的な輝きを持った桃山文化の終わりを感じさせる絵。
そんな感じがしました。


◆二人の将軍がつくった「二条城」と「銀閣寺」
「二条城」と「銀閣寺」には、同じ「将軍」の地位にある人が作ったとは
思えない大きな違いがあります。
ドラッカーが指摘した『二極性』に相応しいケースではないでしょうか。

例えば、二条城の二の丸御殿は「ザ・書院造り」。理詰めのしつらいです。
各部屋の役割を明確にし、それに合わせた障壁画や調度を用意する一方で、
狩野派というスーパー絵師集団による豪華絢爛な作品を最大限に活かして、
ドラマチックな空間を演出しています。
それは、ある種、権力を背景にした高圧的なフォーマルさなのですが、
戦国の世を終わらせるための強固な意思を感じます。

他方、銀閣は、マニア度の高いプライベート空間です。
偉大なおじいちゃん(義満)と名家出身の恐妻(日野富子)を持ち、
政治からも家族からも逃げ、ここ東山で現実逃避していた足利義政。
応仁の乱の元凶をつくりながら、皮肉にも静謐で美しい山荘を生みました。

墓地だった場所に無断で作ったとか、庭の為に名木や名石を略奪したとか、
飢饉で苦しむ民からは費用を賄う為に税金を取った、といった話を聞けば、
「どんだけ庭が作りたかったんだ?」と何だか頭痛がしてきます。
でも、ここから戦国時代が始まり、安土桃山時代への架け橋となりました。
建築という点でも、ここから書院造りが生まれ、「空間」に対する価値観が
根底から覆りました。
日本の中世や美意識の原点を理解するのに、欠かせない場所だと思います。


同じ「書院造り」でありながら、対極にある二つの建造物。
しかし、これは非常に日本的であると思います。
ビジネスの世界でありがちな「Aか、Bか」といった二択ではなく、
異なる用途・嗜好に合わせて「Aもあるし、Bもある」とする柔軟さ。
包容性の深さと貪欲さを生み、他者が持つ可能性の芽を摘むことなく、
吸収・一体化していきます。
古来より外国文化を取り込んできた日本の姿がここに重なります。

ドラッカーは、日本美術における二極性について、
その背景を「対立ではなく緊張」として論を展開しています。
さらに、「自己の存在の認識からくる緊張」と言い換えてもいます。
正直、内容を理解するのにちょっと手間取るコンテクストでしたが、
要は、日本人独特の美意識は、「自然(日本)」の一部として自己を
認識することから始まり、多様さ、風情、空気感、奥行き、小さな変化を
愛する価値観へとつながった、と言っているのではないかと思います。
そして、それらは対立するものではなく、全体としての緊張感を生み、
複雑で深みのある表現、欧米にない斬新さを支えているのでしょう。

そう考えると、現代の「かわいい」は十分日本らしい美意識だと、
思いますね。
「かわいい」が世界に通用するという事実は、日本人が考えている以上に
実はものすごい大きな強みではないでしょうか。


◆おまけ:日本美術マニアとしての「ドラッカー」
ドラッカーの論文などに登場する名前を見る限り、
時代的には室町〜安土桃山〜江戸、 カテゴリー的には建築・書画が中心。
有名どころは当然として、仙ガイや簫白、若冲、泡一あたりも押さえいて、
一言で言えば、まあ、「オタク」ではないかと。
コレクションの内容は、あまり突飛なものはなく、シブいです。

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春の京都旅行〜ドラッカーと日本美術(前編)〜

先日、久々に京都を旅行してきました。

そもそものきっかけは名古屋の「ドラッカー研究会」の皆さん。
ドラッカーの『すでに起こった未来』の「日本画に見る日本」を読み、
美術や建築を通して日本の特質を直接体験してみよう、という企画に
参加させていただきました。


左側が私にとっての「底本」。訳はこっちの方が好き。


ドラッカーは、日本美術の特質として主に以下をあげています。
(1)二極性・・・豪華vs簡素、流派vs異端、シンプルvs精緻など。
(2)空間の重視・・・西洋は幾何、中国は代数、日本はトポロジー
(3)外国文化を消化する直観力や知覚力
今回の訪問先である「銀閣寺」と「二条城」は、
(1)の中でも<豪華vs簡素>、<超フォーマルvs超プライベート>、
という観点で面白いサンプルではないかと思います。
また、「銀閣寺」については、新しい空間デザインを生み出したという
観点で(2)も見逃せない視点です。

そんなことを念頭に置きながら、陽春の京都を楽しんできました。


◆「源氏物語」の世界観から生まれる雅
まず訪れたのは、岡崎の細見美術館

優品が多く、このブログでも何度か取り上げている、大好きな美術館です。
琳派のコレクションで有名ですが、この日は「源氏絵と雅の系譜 −王朝の恋−」
という展覧会が催されていました。
源氏物語をモチーフにした屏風絵や絵巻、工芸品などが所狭しと展示され、
初めて見る「雅の世界」にすっかり引き込まれてしまいました。

これらの屏風や絵巻の特徴としては、以下があげられると思います。
(1)時間の推移や場面の変化を表す「金雲」や「霞」
(2)屋根や天井を省き、室内を俯瞰する「吹抜屋台」による細かな描写
(3)遠近よりも、登場人物や場面の描写を重視
絵巻や屏風といった表現形式では、紙幅やスペースに制約があることから、
こうした工夫によって物語を活写することが意図されたのだと思います。
しかし、ものすごい情報量です。
遠近がほとんど強調されていないので、金雲や霞で区切られた各シーンは
全てフラット化され、西洋絵画のように各対象の優先順位がありません。
「鳥獣人物戯画 」と並んで、マンガのもう一つの原点ではないでしょうか。

もう一つ私の目を引いたのは、江戸後期の源氏香を意匠化した蒔絵箱。
百人一首かるたをおさめる小さな箱ですが、その造形が美しいだけでなく、
表面に源氏香に散らしたデザインがとてもモダンです。
物語に因んだ図案を見るのは、謎解きのようです。まったく飽きません。
身分の高い女性が使っていたであろう、教養要求度の高い一品です。

 <源氏香>



◆日本の美意識のプロトタイプ、銀閣寺
次は、「銀閣寺」(東山慈照寺)に向かいます。

見所は、「銀閣」と呼ばれている観音殿(国宝)、銀閣寺を造営した足利義政の
持仏堂兼書斎だった「東求堂」(こちらも国宝)、そして、月待山を借景に四季を
活かした日本庭園といったところでしょうか。
また、庭園に隣接する「向月台」と「銀沙灘」は、現代美術のように幾何学的な
デザインで、岡本太郎が絶賛したことでもよく知られています。


刈込垣(椿)に竹垣と石積みを加え、3層になっている銀閣寺垣。
前方と左右の視界を遮断し、庭園まで50mのドラマを演出します。

銀閣寺垣を抜けると・・・

なんと、修理中でした!! 
ああっ、銀閣(観音殿)がスケルトン状態に・・・
向月台と銀沙灘も、主役を失って何だか淋しそうです。

気を取り直して、「元祖・四畳半」の東求堂へ。

東求堂の同仁斎では、書院造りの原型を見ることができます。

苔のサンプル。
この左側には「ちょっと邪魔な苔」と「とても邪魔な苔」もありました。
苔にもいろいろ役割があるんですね。
こういうユーモアのある見せ方は、とても楽しいです。


(後編に続く)

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旅のしめくくりは、お土産三昧。

京都を訪れる楽しみが尽きないのは、たぶんショッピングに起因するところ大。
今回も美術館めぐりと同じくらいの情熱で、あちこち行ってきました。


おなじみ鳩居堂の絵はがき。
どれもこれも、使いたくなくなるほど美しい。


月刊「なごみ」のバックナンバー。特集「志野」は読みごたえあり。


三条にあるアンティークの「COM」で買った猪口。
秋の草花かな? 季節感があり可愛かったので、ダンナ用に2個購入。

「これ、ソバ猪口ですか?」とお店の方に聞いたら、
「向付かな?でも、箱には猪口って書いてありましたね」といった具合に
しばし話が弾んで、買い取りのときの苦労話などうかがいました。
ちなみこの猪口は、滋賀県のお家から出てきたんだそうです。


その他、雪佳のてぬぐい帳、鳥獣戯画をあしらった清水焼の箸置き、
大好物・ジュバンセルの「竹取物語」、京都関係の本を
買ってきました。

行くたびに「今回は買い過ぎないようにしよう!」と心に固く誓うものの、
帰る頃にはスーツケースはパンパン。それでも入りきらずに、両手に紙袋。
本が多いせいで異常に重いし、かさばるし、割れ物もあるしで、
背後から蹴りでも入れられたら、そのままの状態で前につんのめるしか。
東寺の八雲シール、狩野永徳グッズ、仏像ハンコとか新しい朱印帳とか、
結構がんばって、あれこれ我慢したんだけどなあ・・・

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司馬遼太郎も愛した、東寺の御影堂。



引き続き、「踊る京都旅行」篇です。

桂離宮の参観が終わり京都御所に行く間、時間ができました。
なので、七条大宮で市バスを乗り換えて、さっそく東寺へ。
黄緑になった蓮の葉が、秋の訪れを感じさせます。

京都を訪れるとき、必ずと言っていいほど東寺に立ち寄ります。
そして、何よりもまず、空海の住房跡とされている「御影堂」にお参り。
今でも多くの参拝者が集まる御影堂は、司馬遼太郎に「空海の住房であった
この御影堂の建物がもっとも好きである」 と言わせたほどの仏堂です。

地元の人や観光客が自由に出入りする境内は、ざっくばらんな雰囲気。
ですが、お堂にあがって真剣に手を合わせる人は絶えません。
司馬遼太郎にとっても、特別な場所だったのでしょう。
知人に京都を案内をするとき、待ち合わせ場所に御影堂を指定したそうです。
私がもしそんなことを言われたら、かなりシビれますね。(笑)

ふと「身は高野、心は東寺におさめおく」という空海の言葉を想い出して、
ほんわかした気持ちになりました。ということで、ランチは大奮発!
伊勢丹のデパ地下で、和久傅のお弁当「鯛ちらし」を買いました。



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はじめての桂離宮(その4)

桂離宮に限らず、京都御所や仙洞御所、修学院離宮の参観は、
ネットやハガキによる事前申込みが必要で、定員に達し次第、受付終了。
だから、「なかなか参観できない」というイメージがすごく強いです。

でも、裏技(?)が一つあります。それが「窓口受付」。
参観前日までに宮内庁京都事務所に直接行って、運良く枠が残っていれば、
その場で申し込めます(要・身分証明書)。
今回私が使ったのはこの手でした。
意外と空いていたりするもので、私は京都御所を追加で申込みました。


最近、某ライフスタイル誌でも紹介されたので、今後窓口受付の競争率も
多少高くなるかもしれませんが、「空き枠があればラッキー!」くらいの
気持ちでトライできるなら、おすすめの方法です。


さて、はじめての桂離宮(その4)です。

一番最後の茶室、ゲッパロウ。
井筒監督の映画みたいな名前ですが、月波楼と書きます。
いい名前だと思ったら、白楽天の詩から来ているそうで。


月波楼は、池に面して建つ観月のための茶室です。
池を挟んで向こう岸には松琴亭。
中の間から見た景色はまるで日本画のようで、とても美しかったです。
外国人の皆さんも、ここは写真撮りまくりでした。


亀甲岬。正面の松は「住吉の松」と呼ばれています。
四角く刈り込まれた生け垣で両脇を遮断し、アイストップである松までの
長いアプローチを印象的なものにしています。

『京都の名庭を歩く』(宮元健次著)によると、桂離宮にはヨーロッパの
ルネサンス・バロック庭園の技術が多用されていると言います。
ルネサンス・バロック庭園は、日本の「自然風景式庭園」と対照的に、
「整形式庭園」と言われ、視覚的トリックや幾何学を駆使して人工的な美を
創出するのが特徴です。
具体的には、パースペクティブ(先細りの空間)、ビスタ(極端に細長い空間)、
黄金分割による平面のデザインなどがその手法。
「住吉の松」はビスタの一例。パースペクティブは、「エースをねらえ!」で
藤堂さんがエディにその蘊蓄を披露していました。

ドイツの名建築家ブルーノ・タウトが涙を流して絶賛したという逸話は
「本当のことなんだろうな」と、ようやく思えるようになりました。
何気なく桂離宮を訪れたとしても、建築のプロフェッショナルの目には、
設計図が浮かび上がり、我々と全く違った視点で風景が見えていたでしょう。
「極東の田舎町にある何百年も前の建築に、なぜ?」という驚き。
そして、「茶の湯」の世界との融合。奇跡としか言いようがありません。
時代が生み出したものとは言え、智仁親王の壮絶な人生をも考えると、
その完成度の高さは息苦しいほどです。

今回、ほとんど下調べもせずに訪れました。
見落としたところもいっぱいあるし、いいなあと感じたところもたくさん
見つかりました。
世の中には「桂離宮信仰」というか、作られた「神話」という見方もあり、
本も出ています。だからこそ、素の状態で見たのはよかったと思います。
私にとっては、「キング・オブ・別荘」。また行きたいです。

はじめての桂離宮(その1)
はじめての桂離宮(その2)
はじめての桂離宮(その3)

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はじめての桂離宮(その3)

実を言うと。基本、奈良派でした。
奈良独特の気負いのない大雑把(?)な雰囲気はいつも私を癒し、
歩いているだけでほんわかした気持ちにさせてくれました。

正直、京都はちょっと緊張するところがあります。
都市としての隙のない感じ、あまりに端整で行き届いた美しさの前で、
萎縮するのかもしれません。

ですが、秀吉や徳川家など時の権力者に翻弄された英才・智仁親王と
作庭に関わったと言われる小堀遠州の感性が随所に詰まった桂離宮。
月並みだけど、今風に言えば、徹頭徹尾イノベーティブ。
そりゃ、世界的な建築家でなくても涙するでしょうよ。


では、はじめての桂離宮(その3)です。


松琴亭の脇の苑路を抜けて、振り返ったところ。池がきれいです。

その小高い斜面を登ると、賞花亭があります。
写真を取れなかったのですが、「峠の茶屋」に見立てただけあって、
そこからの眺めは見晴らしも良く、飛石がとてもきれいに見えました。


賞花亭の山裾に建つ園林堂、そして、笑意軒です。
笑意軒は、茅葺寄棟造の母屋に柿葺きの土廂を付した、農家風の建物。
「笑意軒」の扁額の下に6つの丸窓があったり、二の間に腰壁にビロードを
使ったりと、凝った意匠が多いです。


窓下の腰壁は、市松模様の上から流し込んだように金箔が貼られています。
このデザインも変わっていますが、やはり市松模様に使われたビロードの
質感は独特。積極的に西欧の手法を取り入れた小堀遠州の影響でしょうか。
ちなみに、ビロードはスペイン・ポルトガル原産の織物で、
当時、宣教師が献上品として日本にもたらしたものなんだそうです。


書院へ向かう道。
参観者は書院への入室は許可されていませんので、歩きながら眺めるだけ。
雁行形に連なって建つ姿は実にリズミカルで、当然「中が見たーい!」と
歯ぎしりする訳ですが、外観とガイドブックで想像するしかありません。

次は、最後の茶室・ゲッパロウに向かいます。

はじめての桂離宮(その1)
はじめての桂離宮(その2)
はじめての桂離宮(その4)

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はじめての桂離宮(その2)

桂離宮との出会い。私にとって、それは「エースをねらえ!」です。
藤堂さんが来日したオーストラリアのテニスプレイヤー・エディを
連れていったのが桂離宮でした。

桂離宮と聞いただけで狂喜できるエディも相当な親日家ですが、
含蓄のある話をしながら案内していた藤堂さんにも驚きました。
「こんな大学生、いるのかいな・・・」と、ひどく感心したものです。
さすが、「女の成長を妨げない男」。
そんなこともあって、私は宗方コーチ派ではなく、断然、藤堂派です。


さて、はじめての桂離宮(その2)です。

お天気はいま一つ。雨が降りそうな空だったので、宮内庁の方からは
飛び石が滑りやすいので、気をつけてくださいと注意を受けました。
歩きながらの撮影は当然禁止。また、全員まとまって参観するので、
好き勝手にあちこちを見るのもNGです。
みんな返事は一応良いのですが、実際には魅惑的な景色に気を取られて、
履き古したパンツのゴムみたいに、列はしょっちゅう伸びていきます。


表門より50mほど入ったあたりに、御幸門があります。
参観コースの始まりは、御幸道です。
植栽や刈り込みが美しい道は、まるで壮大なオペラの前奏曲のよう。
歩いているだけで、とにかくワクワクします。


御幸道を進むと、外腰掛という待合所のような簡素な建物があります。
その外腰掛の前庭が蘇鉄山。
外腰掛が前面や側面は柱だけで、素朴でオープンなな作りであるだけに、
南国ムード漂うダイナミックな景色とはアンバランスな感じもしますが、
取り合わせの妙という意味で面白い空間です。


外腰掛の延段です。

次は、松琴亭です。
と思ったら、全景の写真がなく、一の間のみ。しまった・・・
襖の市松模様が印象的で、そればかり撮っていたようです。
松琴亭は桂離宮で唯一の草庵茶室で、深めの廂が特徴。
季節的には冬の性格を表すものなんだそうです。


次は、賞花亭に向かいます。

はじめての桂離宮(その1)
はじめての桂離宮(その3)
はじめての桂離宮(その4)

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